コラム

5年ぶりの「彼女の選択」

コラムを書くよう、慈に勧めてみたものの「わたしは全然まとまらない」と言うので、僕が代わりに慈と対話したことを書いてみようと思う。

8/1、8/2の2日間、トモエ幼稚園ではスタッフやお母さんたちを対象とした研修が行われた。テーマは「男性性とは、女性性とは」というもの。1日目には慈が2012年にチェルノブイリに視察へ行ったことをまとめたHHKドキュメンタリー「彼女の選択」を見て、意見をシェアするというカリキュラムだった。

慈が講師として参加することになったので、僕は子守担当で不参加。
帰ってきた慈は、不参加だった僕に気を使ってか、多くのインプットをシェアしたかったのか、どんな研修だったのか熱っぽく語る。

あのドキュメンタリーを見て、誰がどんな感想を持ったのか
興味がなかったわけではないが、僕が一番聞いてみたかったのは
「で、数年ぶりに見て、自分ではどうだった?」ということだった。

それは、センシティブな内容を扱った、インパクトの強いドキュメンタリーだけに放送された2013年当時も波紋を呼んだと記憶しているし、主人公である慈自身も心をすり減らしているのを隣で観ていたからだった。

当時お話会に参加した人たちや、一緒にドキュメンタリーを見た人にとって、5年後の彼女の変化は大きな関心事なのだと思ったのだ。現に僕もその一人だ。

「落ち着いて見れた」 というのが彼女の率直な答えだった。
以前は見るたびに心がザワザワして、苦しくなったり、悲しくなったり、溢れてくるものがあったのだという。

「落ち着いて見れたのは何でだろう?」 再び問いを投げかけてみる。

「えー…」 少し戸惑ったように間を置いて
「不安がなくなったからかな」
少し迷ったように答えたので、もっと深めてみたくなった。

「それは何で?」

「前にさ、木戸さん(当時の慈のメンター的な人物)に『平和の砦を心の中の福島にたてるんだ』って言われたんだよね。『あなたの聖地は311後の福島なんだよ』って。『世界中が見ているよ。あの時あの出来事を福島で体験して外に出たあなたがその後、どう生きるか?』って。で、それを決断したときに不安や悲しみも自分の中にインクルードするようになって、それがきっかけかな?」

『平和の砦を心の中の福島にたてるんだ』と助言は、抽象的すぎて補足がないと正直僕にはわからない。しかし伝える人に伝わり、しっかりと消化できたのだったらそれで良いのではないかと思う。それよりも、慈自身がその抽象的なアドバイスをどのように受け入れたのかが気になった。

「で、具体的にどうやって決断したの?それ」

「それはあたしも聞いた。どうやって決めればいいですか?って。そしたら、簡単だよ、今ここで決めればいいだけだって。それで(決めた)」

「ちょっと待って。HOWを聞いたのに、今決めるんだっていう回答おかしくない?それで決められるの?」

「でもそう言われて、決められたのはあるんだよね。何というか、、、うまく説明できないけど、その瞬間めっちゃ泣けたんだよね」

全く論理的じゃない。
聞いている側としては意味がわからない。
けれども、そう言われて決められたのは事実なのだろう。そして不安と向き合い、自分に内包したきっかけになったことは間違いないわけで。

彼女曰く、そういうタイミングはこのエピソードの他にも、このドキュメンタリーの放送後、幾度となく訪れて今があるという。

当時南相馬に住んでいた僕との結婚、娘と息子の妊娠と出産、子育てや移住など。その度に覚悟して、不安や悲しみを自分自身に内包してきて、今の「落ち着いて見れた」という心境に至るのだそうだ。

それこそ、チェルノブイリへ視察に行った当時の慈は、外へ外へと関心が開いていた。結婚妊娠子育てというプロセスを経ながら、慈の問いや関心は内へ内へと向いていったのかもしれない。

その大きな分岐点となったのが木戸さんの助言だったのではないかというのが僕の考察だ。

 

===「彼女の選択」というドキュメンタリーには知る人ぞ知るエピソードがある。

2014年4月、札幌の団体がチェルノブイリ博物館の館長であるアンナ(慈の人生を変えた人物でドキュメンタリーの中のキーパーソン)を札幌に講師として招聘した。

もちろん、慈は会いに行った。
「彼女の選択」を制作し同行取材したNHKのプロデューサーもわざわざ二人の再会を見届けるためだけに来札した。

2人の再会に多くの言葉はいらなかった。
番組内で「私は子どもを生み育てられるのか」という不安を投げかけた “ 彼女 ”。
「あなたなら大丈夫」と涙ながらに答えたアンナ。

ウクライナでの出逢いから1年半を経て、その2人の腕の中には生後2ヶ月の乳飲み子(娘)がいた。その子は「彼女の選択」の結果とも言える存在だった。

代わる代わる赤子を抱きかかえながら2人は涙の再会を果たした。
赤ちゃんを抱いた時の、涙に濡れたアンナのうつむきかげんな横顔が印象的で忘れられない。

孫をながめるかのような、本当に嬉しそうでとても優しい表情をしていた。

僕には、この光景こそが「彼女の選択」の本当のエンディングなのだと感じた。

彼女自身は、このことについて今回語らなかったが
ドキュメンタリーを「落ち着いて見れた」要因の1つとして、アンナとの再会も大きかったのではと僕は思う。「彼女の選択」の答えを、同じ女性同士、世界で一番伝えたい人に伝えられたのだから。

※photo by masahiro maeda

5年ぶりの「彼女の選択」” に2件のコメントがあります

  1. womenra yasmin o yasminelle per acne Bank Leumi, Israel s second largest lender, sold a 4 buy cialis canada pharmacy The growing number of clinical trials suggested to Walpole that tamoxifen could be given to pre menopausal women with breast cancer to predict whether it would be useful to subject them to more drastic treatments, such as removal of the ovaries

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です