コラム

地震から6日目→福島でルーツを辿っています三連休は上京します。。

朝からガチンコの夫婦喧嘩をした。「子どもたちのことをちゃんと見てない」という孝介と「じゃぁ、仕事どうするのよ」というあたし。「もうチョット気を張ってよね」というあたしと「いや、もう少し落ち着けよ」という孝介。どちらも一歩も引かない。1時間ぐらい?いつのまにか息子は腕の中で寝落ちしていた。「ねー、はやく仲直りしないの?」と何度も娘がいう。それでも収まらないあたしたち。最後のこういった「むーちゃん(息子)のこと今度からあたしがお世話するから。面倒見るから」

その一言に色々ダム決壊。喧嘩のおかげか、娘の優しさのおかげか、涙を流したおかげか、この一悶着でかなり落ち着くことができた。出すのは大事。我慢はよくないと思った。

無意識に張り詰めていたり、緩んでいたり。自分でコントロールできているつもりが、周りからみたらそうではなかったり。相手は同じ感覚でいると錯覚したり。無意識って厄介だなと思った。

でも、無意識なことを意識することで無自覚ではなくなるとも思った。完全に無意識だとそこを突かれた時に思考停止してしまうけれど、無意識なことを自覚してさえいれば、いざという時に動くことができる。こうして本州までやってきた流れは無意識(ある意味本能的?)だったけど、311の経験があるから、こういうことが起こり得ることには自覚的だったんだと数日を振り返る。

無意識に日常に戻るんじゃなくて
いかに日常を自覚かするか。

「ちかちゃん仕事持ってきたよー」「梨届けときましたからー」「これ(お酒)景気付けに呑んでー」「お米送ったー」

そんな風にして、まだまだ続くpay it forward。これはもはや、あたしにとっての仙豆なんだと思った。仙豆食ってオラもっと強くなってゾー!強くなってオラも戦うぞー!(何と?)という勢い。それくらい、みるみる元気になってく。

翌日午前中はスタバで仕事。よーやくパソコンに向かえた。仕事をすることで気持ちが日常に戻っていく。パソコンに向かいながら「生活は日常に戻っていくけど、野生の勘や本能的感覚を養うことと、選択肢を増やすことだけは戻してはいけないな、むしろ前に進めてかなきゃいけないな」と降りてきた。日常の自覚化をあえて言語化したらそういうことになるのかな。

あたしたちが、常に身軽であることも、他拠点であることも、ライフアズワークなことも、向き合うことを主軸に置いてるのもぜんぶこの日常の自覚化に通じるんだと思った!

午後は孝介のお婆ちゃんに会いに行ってきた。「めんげーなー。」97歳のお婆ちゃんが1歳の息子と目を細めて笑い合っているのをみて、産んでよかったし、きてよかった。命はめぐる。生の始点と終点に限りなく近い2人はとても仲良しだった。

三春までお墓参り。実はあたしはここにくるのははじめて。でも、話に聞いた昔義父が住んでいたという家跡地がどうしても気になって墓参りついでに連れて行ってもらった。すると、そのすぐ近くに高台にある趣ある神社が目に入った。直観的に「あそこに行きたい」といってお参りをしてきた。義父が「小さい頃ここでよく遊んだんだー」ってしきりに懐かしそうに話してたけど、あぁ、ここが伊藤家の氏神様なんだなと感じた。多分今も昔も。この神社に守ってもらってる。すぐ下に川が流れてた。昔は井戸があったらしい。水神様かな?龍神様かな?とにかくここにこれでよかったな。孝介のことを思って手を合わせた。

帰りの車の中で孝介が「土地を持つ強さと弱さがあるね」とポツリといった。
人と土地の結びつきを考えながらルーツや、住んだことのある土地や縁深い土地を辿って地図上にプロットしてみたいなと思った。

ルーツをたどってスッキリしたからか?仙豆のパワーか?

地を揺らされたら、その分人と人との結びつきが強くなり、自分を知り、乗り越え得たものが自信になる。7年前もそうだったみたいに、今回もきっとそうなる。絵が少しずつ見えてきた。

三連休は、都内&関東方面に行くことにしました。仕事らしいこともポツリポツリとできはじめ、いつも通りのライフアズワークな旅になってきた6日目です。都内で、福島で、会えるだけの人に会って帰りたい!

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