コラム

親父の復興

「桃、食ったか?」

夕刻、南相馬の父から電話が届いた。孫と話がしたいのだろうかと、娘と代わる。ある程度話したあと

「孝介!」

と呼ばれたので再度電話を代わる。

「この前送った桃はまだあるのか?」

と聞かれたので、

「もう何個かしかないよ。美味しくいただきました」

と答えると、

「お世話になった人やご近所さんに配ったりしたか?」

と再び質問される。

「ああ、したよ」

と答えたところで、デジャヴ。あれ?この会話、前にもしたような気がする。そう、昨年も一昨年も。毎年夏になると送られてくる大量の桃は、孫に食べさせたいからなのだとずっと思っていたが、父にとっては桃を誰かに配るということが重要だったのだ。

父は元県職員で、2011年には飯舘村の避難勧告の説明窓口や家畜の殺処分の担当となり、住民と県や国との板挟みにあい随分と苦しんでいた。その後も退官間近で米の全袋検査などを担当し、県産農作物への思いは格別なのだろう。僕らに送られた桃は、僕らを通して違う誰かの手元へと福島県産の桃を届けたいという父なりの復興支援活動だったのだと思う。3年経ってようやくそのことに気づくことができた。

「また桃を送る」

そう言って電話は切れた。

父の真意に気づくとなおさら、桃が届くのが楽しみになった。

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