「面白いヤツ」と言って断っても断っても誘ってくれる子もいる。
ちなみに、私個人的には後者が好きだ。
「今日は◯◯ちゃん(「コマは友だちがいない」という子)が他の友達と遊んじゃって悲しかった」
というから「そういえばね、◼️◼️(最近よく絡んでくる友だち)がね、お母さんに『コマは面白い!』って家で話してるんだって〜」というと
「えぇ、そうなの?知らなかった」と恥ずかしそうにしながらも顔がパッと明るくなった。
それでも「でもね、コマね友だちあんまりいない」と食いさがるものだから「トモエには何人かしかいないかもしれないけど、コマにはトモエ以外の色んなところ、例えば福島とか島牧とか東京とかさ、色んなところにたくさんお友達いると思うけどどう?」というと
「まぁね」と少し納得したご様子。
とここで、わからないかな?と思いつつ「コマのありのままを受け入れてくれる友だちが本当の友達だと、慈は感じるよ」と思ったことをそのまま伝えてみる。すると「でも、トモエには一人しかいないじゃん。◼️◼️しかいない!」という。
そうか、さっきのやり取りで◼️◼️はコマにとって、ありのままを受け入れてくれている、本当のお友だちという認識になったのか!
「友だちってさ、たくさんいればいいってもんじゃないと慈は思うよ。△△ちゃんだって、●●だってコマのことをわかってくれてる友だちだと、慈は感じてるけどな」というと。
「まぁ、そりゃそうだけど〜」と言って私の膝から去っていった。
彼女と馬が合う友だちは、大抵みんなコマと似たタイプで自分のタイミング、自分のペースで過ごしている。だから、コマと合うときもあれば合わない時もある。それでも、彼らの様子から「こういうヤツ」と決めつけることなく「コマはコマだから」という尊重の姿勢を感じている。
常に遊ばなくても、そんな友だちがいることの方が私は豊かだと感じるし
今私たちを支えてくれているのも、そんな大切な仲間たちだ。
その後、「誰の目に映ったコマ像を「自分」と認識するかは、コマ次第だよね〜」って孝介と話した。これは、コマだけじゃなく、私たち大人にも言えることだねと。
親子で通うトモエ幼稚園3年目の春。
在園のカウントダウンがはじまった。